人は誰でも楽しみにしていた便りや渡されて嬉しかった手紙の想い出があるだろう。現在は手紙よりメールや携帯電話の方が早く便利なので手紙を書かなくなっている人も多くなっている。手紙は時を経てから読み直す楽しみがある。手紙の歴史は古くからあった。西暦1世紀にギリシャ語で書かれたパウロの14通の手紙が有名で世界中で広く読まれている。「すべての人に対して平和を求めること、互いに愛し合うことのほかはだれにも何も負わない」などクリスチャン生活に必要な忠告が含まれている。
ヨーロッパを旅行すると郵便局やポストにホルンのマークが使われているのに気づく。どうしてホルンが使われているのだろう。これは中世の郵便業務の歴史からひもとくことになる。ヨーロッパの手紙は羊皮紙が用いられていた。高価であったため手紙を出す人たちは限られていた。12世紀以後になると中国で発明された製紙技術が伝えられ、13世紀後半にはイタリアで紙が製造され、14世紀にはライン地方に製紙工場が広まり、1300年頃にはドイツで貴族が手紙を書くようになり、人と人とのコミュニケーションとして大切な役割を果たすようになった。王の手紙は使者が箱に入れて王の紋章をつけた枝を持って街道を配達人として運んだ。庶民の手紙を町から町へと運んだのは職人や巡礼や大道芸人だった。中世の中ごろから手紙類が増加するにしたがって、農民が交代で配達人として働くようになった。ライン地方では肉屋が肉の仕入れのために農家を回る時に郵便を引き受けた例もあった。配達人は普通男性だったが、市の内外の近距離には女性も用いられた。大都市の商人は初期は個別に配達人を雇っていたが、ギルド制度が成立してから共同の配達制度が出来るようになって、定期便が使えるようになった。フランクフルトでは1476年から市民も手紙を託することが出来るようになり、現在の制度に近づいた。いよいよ郵便業務にホルンが登場する場面について阿部謹也著「中世の窓から」は次のように書いている。「肉屋が肉の買い付けに農村にやってきたとき、小さな角笛を吹いて到着を告げ、売り手に知らせたことからこの習慣がはじまったといわれています。1490年にインスブルックからオランダへ行く途中で旅籠に到着した飛脚が角笛を吹き、待機していた次の飛脚がそれを聞いて起きてくることが『メミンゲン年代記』にでてきますが、これが郵便と角笛を結ぶ最初の史料です。ウィーン・ブリュッセル間に、トゥルン・タクシスの郵便業がはじまり、近代的な郵便制度の先駆が出来るのが1516年ですが、タクシスの郵便業が角笛を使うようになるのは1615年のことで、今でもドイツ連邦郵便はラッパをしるしとしています。シューベルトの『冬の旅』の一曲、『郵便馬車』にも、主人公が角笛の鳴るのを聞くたびに恋人からの便りを待って胸をときめかせているありさまが巧みに歌われています。」
また別の資料、西川潔著「ヨーロッパ伝統の看板」には「馬上でポストホルンを吹く人や郵便馬車とポストホルンが、ホテルの看板にたくさん残っている。これは昔、郵便馬車に旅人も乗っていたからである。……郵便馬車は乗合馬車を兼ねていた。御者やその助手がポストホルンを吹いて到着や出発、座席の数や馬の数を知らせたり、街中では道行く人に注意を呼びかけるクラクションの役目もした。」と郵便業務とホテルとの関係を伝えている。
日本の紋章には角笛、ラッパ、ホルンは無いが、似たものとしてホラ貝がある。これは音によって知らせる楽器の仲間であるが、戦国時代に戦陣の号令を与えたり、山伏の道中や人を集めるために吹くことに使われた。西洋の紋章にはホルンがある。一つのもの、三つのもの、人魚が吹くホルンもある。日本の郵便業務は明治4年(1871)に郵便の父と呼ばれている前島密によって創設された。シンボルマークは「逓信」の頭文字「テ」をデザインしたもので明治20年(1887)に定められた。
郵便業界は大きく変わろうとしている。電子メールや自由化によって英国の地方郵便局が閉鎖されている。ヨーロッパで広く使用されているシンボルのホルンは生き残れるだろうか。