「ふじは日本一の山」と巌谷小波が童謡に歌ったのは明治43年(1910)であった。富士山の雄大、清純な姿は、昔から文学や絵画などに登場している。万葉集の山部赤人は「田兒の浦ゆうち出でて見れば真白にぞ不尽の高嶺に雪は降りける」と詠んでいる。浮世絵では、葛飾北斎の富嶽三十六景の「赤富士」や「神奈川沖浪裏」は富士山の美しさを追求した傑作。近代作家で富士山を画題にした画家は、横山大観の他に多くいる。
全国には、富士山に形が似ているため「○○富士」と呼ばれる山がある。北から見てみると、利尻富士(利尻山)、斜里富士(斜里岳)、阿寒富士、美瑛富士、蝦夷富士(羊蹄山)、津軽富士(岩木山)、南部富士(岩手山)、出羽富士(鳥海山)、会津富士(磐梯山)、日光富士(男体山)、榛名富士、越後富士(妙高山)、加賀富士(大門山)、大野富士(荒島岳)、諏訪富士(蓼科山)、三河富士(明神山)、伊賀富士(倶留尊山)、近江富士(三上山)、都富士(比叡山)、大和富士(額井岳)、伯耆富士(大山)、石見富士(三瓶山)、八幡富士(飯山)、阿波富士(高越山)、讃岐富士(飯野山)、土佐富士(鴻ノ森)、豊後富士(由布岳)、薩摩富士(開聞岳)など50以上ある。
私のふるさとは新潟県柏崎市。幼い時から米山(よねやま)を見て、日本海で泳ぎ、成長した。暗くてボールが見えなくなるまで遊び、「海は荒海、向うは佐渡よ」(北原白秋・中山晋平)を歌って帰路についた。米山は993でメートル、それほど高くはないが、火山であり、日本海から突き出したさまは、雄大で高山に見える。米山は常に私たちを見守ってくれ、春になると雪解けの形で田植えの時を知らせてくれた。子供の頃には11回、米山登山をした。1981年、米山をイメージして新明朝〈山〉をデザインした。
ふるさとの山は、その地方で誰にでも知られているので、清酒の銘柄に採用されることが多い。北から山の名をつけた清酒を上げると「男山」北海道と富山、「大山」山形、「関山」岩手、「勝山」宮城、「鳳山」仙台、「春日山」新潟など、米所が多い。
歴代横綱でしこ名に山がつく力士とその出身地を示す。「丸山」「秀ノ山」宮城、「太刀山」富山、「栃木山」栃木、「宮城山」岩手、「双葉山」大分、「羽黒山」新潟と続く。
山は高く、遠くから見える大きさがある。山は水をたくわえ、植物や動物や人間を養う。山は風の方向を変え、雨や雪を降らす。ある時には、火を噴いて岩山を造り、湖水も造る。山は登山やハイキングなど、生活に潤いを与えてくれる。
「山」のつく名字は少なくない。上に「山」の字がつくものは約600、下に「山」がつくものは約2100あるという。「山」のつく名字は山本、山田、山口、山崎などがあり、山本は約100万件あるという。山本がなぜこんなに増えたのか。その理由に、人間の居住地で最も良いのは、後ろに山を背負い前に川などのある地形という考えがあるからだ。山本は山のふもとを表わし、山と川の幸を獲り、田畑も作る。敵が攻めてくれば山に逃げ、助けを得る。
聖書の中には、神の家の山が出てくる。『末の日に,エホバの家の山はもろもろの山の頂より上に堅く据えられ…すべての国の民は必ず流れのようにそこに向かう。そして多くの民は必ず行って,こう言う。「来なさい。エホバの山に,ヤコブの神の家に上ろう。神はご自分の道についてわたしたちに教え諭してくださる。わたしたちはその道筋を歩もう」』。イザヤ2:2,3。
山の意味とイメージには他に巨大、安定性、強固、高天、高貴、最高峰、登山、温泉、滝、清里、果実、展望台などがある。