
2冊セットであるが片方の物も含めて、48セット確認されている。 日本には、上巻が慶應大学にある。
ヨハン・グーテンベルクは1455年頃、世界で最初に聖書を印刷した。これは二段組42行で印刷したので「42行聖書」といわれている。彼の活版印刷術は羅針盤、火薬とともに中世の三大発明とされている。しかし、最初に聖書を印刷してから約300年間、彼の印刷術は忘れられていた。ところが今から約200前になり、世界中で彼の功績が顧みられるようになった。グーテンベルクの偉大なところは、活版を作って組み替えることにより何度も使えるようにした事で、それは500年近く大きく変わることがなかった点にある。グーテンベルクのなした仕事は、活字を作り、組版をし、写本時代には考えられなかったような大量の印刷用の紙を準備し、ぶどう搾り機を改造した印刷機を発明した事であった。
私は彼の博物館を4回訪問している。最初は1965年、二回目は1970年、伊藤勝一氏、ヘルマン・ツァップ氏と一緒に、三回目は森啓氏、吉田佳広氏、小塚昌彦氏の四人で訪れた。この博物館は世界印刷博物館ともいわれ、多くの世界の印刷物を展示していて、一番の目玉は「42行聖書」である。今回のプリンターズ・マークはグーテンベルクの一番弟子であるペーターと出資者であるシェッファが創始した。
「印刷事典」(印刷局朝陽会)からの引用によると、コロフォンとはギリシャ語の仕上げの意味で、書籍の巻末にある刊記のこと。元来コロフォンとは小アジア西岸イオニアの都市名であり、その市民は馬を御すことが巧みで、古代ギリシャ人は彼らを見方に組み入れると必ず戦争に勝ったので、コロフォン人を味方につけることは結着を意味したことに由来する。15世紀中ごろに活版印刷が発明されてからも、約50年間は写本時代の形式をそのままに刊本の巻末に刊記を付し、これをコロフォンと称した。日本の奥付に似ていて、出版の年月日・場所・著者・刊行者・活字書体・印刷所標章などを印刷した。この時代の書物には扉がないのが特徴であったが、16世紀中ごろから扉のページが工夫され、コロフォンの記載事項が扉とその裏面に移され、コロフォン自体は次第に簡略化され、ついには消滅した。
これは1938年刊行で、ニューヨークを中心にしたアメリカとイギリスのタイポグラファ122名による155点のシンボルを一冊にまとめたものである。作家たちは、当時アメリカを中心に活躍していたグラフィックデザイナーやタイポグラファ、活版植字工、製版工、印刷業者などのグループである。この本は何ら制限のない自由な発想のもとで、自分のシンボルを作るという試みであった。ある人にとっては今までにない想像力を発揮して、すばらしい作品を作り出す機会になったかもしれない。この作品群は、何も制限されず自由に自分のシンボルを作った作品という意味合いで、「任されたシンボル」という題名が付けられた。
この中で現在最もよく知られているのは、フレデリック・W・ゴウディであろう。彼は1912年に「ゴウディ」というローマン書体をデザインした。この書体は読みやすく美しいということで、全米だけでなくヨーロッパまで広く支持を得て使われるようになった。彼は当時のアメリカで最多作の書体デザイナーであり、成功者としての地位を確立していた。