現在、日本で鷲を見ることは、動物園に行かなければ、ほとんどできない。北海道の浜頓別町には、翼を広げると2メートル以上にもなるオオワシが飛来してくる。国の天然記念物である。オオワシは流氷の南下とともに、サハリンなどから越冬のために飛来する。最近のテレビで見た番組によると、オオワシが本州の内陸にも来ることがわかった。
名古屋市の中心から電車で30分ほどの所の里山に、この研究所はある。江戸時代の鷹狩りを仕切った鷹匠が確立した技術を使って、日本に飛来する鷲、鷹の傷の治療、保護をしている。傷が治った鳥は自力で生活できるよう、自然に戻すことを目的とした飼育環境の整ったセンターである。
アメリカの国のシンボルはハクトウワシ。何千羽ものハクトウワシがアラスカ州、カナダのブリティッシュ・コロンビア州などの至る所から、アラスカ州チルカット・ハクトウワシ保護区に集まってくる。特徴として、頭に白い羽があり、堂々とした風格が目立つ。胴の部分は焦げ茶色で、体重は平均6キロになる。雌のほうが雄より大きく、翼を広げた時、両端の間の長さは2.4メートルあり、時速50メートルで飛行する。鋭い目は数キロ先の魚を見つけることができ、見つけると時速160キロの速さで降下し、その魚をつかみ上げることができる。
アラスカ州は1982年に保護区を設けた。この保護区は、鷲の保護のための1万9,000ヘクタールのえり抜きの土地を有している。かつてハクトウワシは解禁猟鳥であったために、報奨金目当てのハンターたちに狙われた。鷲が生きた鮭を食い荒らすという報告に基づいて、1917年に報奨金制度が設けられたのだ。軍の給料が安かったので、軍人たちは鷲のかぎ爪一組につき1ドルをもらい、給料の足しにしていた。その後、川を上る鮭に鷲が与える被害はそれほどでもないことがわかり、報奨金制度は1953年に廃止された。それまでに12万を超える鷲が賞金目当てに撃ち落とされていた。1940年代にアラスカに生息していた鷲の個体数は、1970年代の鷲の個体数の半数しかなかったものとみられている。1959年アラスカがアメリカの一州になった時、ハクトウワシは1940年にアメリカ政府が制定した保護法の下におかれた。その後、鷲を殺すことは法律違反行為であり、死んだ鷲もしくは鷲のいかなる部分を所持することも違反になった。
「少年は疲れ果てることもあり,うみ疲れることもある。また,若者も必ずつまずくであろう。 しかし,エホバ(神)を待ち望んでいる者は再び力を得る。彼らは鷲のように翼を張って上って行く。走ってもうみ疲れず,歩いても疲れ果てることがない」。(イザヤ40:30,31)飛んでいる鷲は、疲れを知らずに舞い上るように見える。それは熱気泡と呼ばれる、上昇気流を利用し、何時間でも飛翔する姿に、聖書は言及している。
鷲はバビロニアとエジプトの支配者たちの特性を持つものとして表わされた。古代のアッシリア、ペルシャ、ローマなど、古代の多くの国々は、鷲の象徴が王の笏、軍旗、石碑などに用いられ、現代でもドイツやアメリカ、メキシコ、スペイン、オーストリアなどの国々に用いられている。