子供の頃読んだ漫画に、よく海賊が登場してくる。海賊は必ず黒いナポレオンハットをかぶり、片目に眼帯と縞のベストを着たスタイル。ナポレオンハットに、ドクロと交差した骨のシンボルを付け「抵抗すると死ぬぞ!」と脅かしていた。海賊は漫画や映画の中での話だと思っていたのに、今日も海賊が現れるという。無政府状態のアフリカ東部ソマリア沖周辺に出没している。日本では2008年に3隻が被害にあったので、自衛隊の海外派遣を可能にする新法を検討している。
1970年大阪万博アメリカ館で、ニューイングランド地方の古い墓石の拓本を展示していた。アメリカ大陸が発見されて、大勢の人たちは夢を描いて新しい大陸に渡った。そこで生活を営んだ家族に人が生まれ、死んでいった。当時ニューイングランドには本職の石屋がいなかった。それが幸いして素朴でユーモアに富んだ多種の墓石が作られた。墓石によく使われるエレメントがある。砂時計は時の短いことの警告。天使は死者の案内役。明るい太陽は復活の希望。死は終わりではなく、神によって生かされる時が来ることの願いを表現している。聖書のエゼキエル書には神が乾いた骨から人を復活させる様子がある。「いまわたしはあなた方に息を入れる。そしてあなた方は必ず生き返る。また、わたしはあなた方の上に筋を置き、あなた方の上に肉を生じさせ、わたしはあなた方の上に皮膚をかぶせ、あなた方のうちに息を置く。それであなた方は必ず生き返る。」エゼキエル37:5,6。
14世紀末ヨーロッパではペスト(黒死病)が蔓延した。疫病におかされると、人々は死の恐怖から逃れるために集団で踊ったという。「死」は大鎌を持った黒い衣裳に白い骸骨を描いて表わした。これらの踊りは「死の舞踏」となって後の文学、木版画、音楽に大きな影響を与えた。木版画であるドイツの「ニュルンベルク年代記」(1493)の「死の舞踏」は、骸骨の踊る姿を描いている。「死」と印刷工を描いた「死の舞踏」もある(1499)。音楽界では、1847年フランスの作曲家サン・サーンスの交響詩は彼の代表作の一つで、墓場で踊る骸骨の光景を音でリアルに、しかもユーモラスに表現している。
ポーランド南部の人口約5万人の工業都市。1939-45年、第二次大戦中、ドイツ軍は占領した各地に強制収容所を建設したが、アウシュビッツ収容所は最大規模で、1940年には25万人が収容された。強制労働、栄養失調、各種伝染病、銃殺、毒ガスによって400万以上が虐殺された。その中にユダヤ人、ロシア人、ポーランド人、戦争を拒否したエホバの証人たちがいた。現在収容所の一部が保存され、平和記念館になっている。私が訪問したのは1965年の夏だった。この収容所で死んでいった人たちの遺留品が展示してあった。靴、鞄、歯ブラシ、女性の髪の毛が大きな部屋いっぱいに積み重ねてあった。屋外には二重に張り巡らされた鉄条網。高圧電流が流れ、危険を知らせる「どくろ」のピクトグラムがつけられていた。しかしこれでも脱走者を食い止めることはできなかった。所長であったルドルフ・ヘスの証言によると「障害の下を通って森にぬける横穴を掘り逃亡に成功。また所内に入るディーゼル機関車の下にはいり車輪の間にへばりついて外に出たという。」厳しい見張りの目をくぐり抜ける脱走は絶えなかったという。
「どくろ」は海賊や海賊船のシンボルの他に、各国の特殊部隊のシンボルに採用されている。他に墓場や高圧電塔。ピクトグラムでは危険、毒物、爆発物、高圧電流がある。西欧紋章には骨やどくろがあるが、日本の家紋にはない。「骸骨」には生命、不滅、復活、回復、永遠という意味がある。