ワルシャワはポーランドの首都でヨーロッパの都市の中でも美しい中世の都として知られていた。しかし二回の世界大戦によって大半は崩壊した。残された古い町並に小さな店がつらなっている。上の写真はレストランを表わす顔の看板。1965年に私がこの看板を掲げている店を訪ねた時はデスマスク店であり、先代の主人のデスマスクがウインドに飾ってあった。その後レストランに店変したのに、この看板はそのまま残り、町全体も古い建物などをそのまま保存し続けている。
日本でも明治や大正時代には文化人の間にデスマスクを残す慣習があった。夏目漱石のデスマスクが2007年の「漱石展」に出展されていた。漱石は1916年12月9日に死亡し、その夜デスマスクがとられた。死者の顔に油を塗って針金で補強した顔の型枠に、石こうを流し込んで固めて制作する。その凹型の顔に石こうを流して完成させる。デスマスクというとベートーヴェンのものが有名で、学校の音楽教室に掛けてあったのを想い出す。1991年にオーストリアのバーデンを訪ねた時、陶器店のウインドを飾っていた。
マスクで世界的に有名なものに紀元前1300年のエジプトのツタンカーメンの黄金のマスクがある。世界各地にある宗教的なマスクにはかなり古いものがある。芸術的なものとして日本には1400年代能面の女面や般若面がある。ここでは演劇のマスクの源泉を調べてみた。マスクの起源は「自分を隠すために顔を覆うもの」で、笑い、冗談、仮装、保護、偽善の意味がある。マスクの使用には1)自分の正体を隠すために何かに姿を変える。2)強い者の力を借りるためにそのものになりすまして力を授かる。3)劇の役柄に合わせて用いることによって観衆は感情移入が容易になる。4)悪霊をマスクで脅して追い払う、などがある。
ギリシャの古代劇から現代の演劇が発展した。ギリシャには多くの神々がいてその祭壇があった。使徒パウロは西暦50年ごろにアテネでキリスト教を伝えた時、多くの偽りの神々を見ていら立ちを覚えたと書いている。当時アテネの人達にも良く理解されていなかった神がありその「知られていない神」に巧みに言及して天地創造の神について伝えた。ギリシャの戯曲は題名だけのものを数えると数百あるという。全編残されているものは45あり、欧州の演劇史の基礎となった。古代ギリシャ劇は豊穣の神ディオニソスをたたえるためにおこなわれた歌と踊りから始まったと考えられている。戯曲の形式は悲劇であり、ふざけたそうぞうしいものが発達するにつれ、まじめで教訓的なものに変わっていった。劇にはマスクが必要不可欠であった。1万7千人の観客が入った野外劇場では最上列は遠くから観ることになり、人物が男か女か善人か悪人かを細部にわたり伝えることは無理だった。そこでマスクが使われ、男は暗い色、女は明るい色など使い分けた。ライフ人間世界史「古代ギリシャ」(日本語版)によると[登場人物が楽しんでいるか悲しんでいるかを、すぐに観客にわからせるため、さまざまな仮面が使われた。その上、役者は底の厚い靴をはき、長い袖の付いた衣裳をつけて、姿を大きく見せた。他にもいろいろなしかけがあった。片側が静かな表情で片側が怒った表情の仮面を使えば、役者は頭を素早くひとふりするだけでふんいきを一変できた。じょうご形の口の仮面でメガフォンのように声をひびかせることもできた]と書いている。
芝居は早朝から始まり、出し物は悲劇が4本に喜劇が1本の組み合わせ。この日は誰でも無料で入場でき楽しむことができた。アテネ市内は休業し、法廷も閉ざされ、囚人は牢から解放された。公的行事に参加できなかった女性や子供たちも観劇を楽しめる特別の日だった。
マスクが演劇・劇場に結びついたものとして、業種を表わす印刷用カットに使用されている。ここではドイツとアメリカのものを紹介する。世界中でマスクが演劇や劇場のシンボルとして使われだしたのは中世以後からのようだ。ここではアメリカで現在使われているシンボルマークを紹介する。